2017年5月1日月曜日

第19回 国際浮世絵学会 春季大会

19回 国際浮世絵学会 春季大会

2017611日(日)
法政大学 市ヶ谷キャンパス 富士見ゲートG601
東京都千代田区富士見2-17-1 JR・地下鉄市ヶ谷駅または飯田橋駅より徒歩10

プログラム

10:00 受付開始
10:30-10:40 開会の辞 会長 小林忠
            理事長 浅野秀剛

午前・研究発表
司会)大久保純一
10:40-11:20 「窪俊満伝記小考―俳諧師二世祇徳の文化圏に注目して―」
       神谷勝広(同志社大学)
11:20-12:00 「歌川国芳《二十四孝童子鑑》に関する一考察」
       中山創太(神戸市立博物館)

12:00-13:00 昼食休憩(第38回理事会)(富士見ゲートG602

13:00-13:50 第19回通常総会
司会)加藤陽介

午後・研究発表
司会)樋口一貴
14:00-14:40 「菱川師宣の科学的調査―山東京伝におる菱川師宣考証に注目して」
       阿美古理恵(国際浮世絵学会事務局)
       塚田全彦(東京芸術大学大学院)
       桐野文良(東京芸術大学大学院)

14:50-15:10 第11回国際浮世絵学会賞授賞式
司会)北川博子
学会賞受賞者:纐纈公夫、田辺昌子
11回国際浮世絵学会賞選考経緯ならびに国際浮世絵学会賞授与
会長 小林忠
11回国際浮世絵学会賞受賞記念講演
15:20-15:40 「浮世絵版画雑感」          纐纈公夫(大屋書房)
15:40-16:30 「浮世絵を伝える―美術館の現場から」 田辺昌子(千葉市美術館)

17:00- 懇親会
司会)松田美沙子・村瀬可奈
    会場:ビストロ・ポンヌフ
       東京都千代田区富士見2-3-14 CSTビル1F 
          http://www.bistro-pont-neuf.com/

【大会参加費】 会員は無料です。受付で本年度の会員証をご提示下さい。
        一般の方も歓迎いたします。一般\1,000、学生\500
【懇親会参加費】国際浮世絵学会 会員\5,000、一般\6,000、学生一律\3,000



※春季大会の会場は、③の建物です。


研究発表要旨

「窪俊満伝記小考
―俳諧師二世祇徳の文化圏に注目して―」
The life of Kubo Syunnmann
神谷勝広(同志社大学)

 窪俊満(一七五七~一八二〇)は、浮世絵・戯作・狂歌の分野で活躍する。画を楫取魚彦・北尾重政に、狂歌を頭光に学び、安永八年(一七七九)頃から黄表紙等も世に送り出す。また一筆斎文調七回忌の追悼文を書いているので、文調とも繋がりを持っていた。
 しかし謎も多い。➀俊満の画業はいつから始まったのか。②本当に中国画の魚彦の弟子だったのか、そうであれば、どういう経緯で浮世絵へ変わったのか。③文調・頭光・重政とは、いつどこで接触したのか。④なぜ黄表紙を書き始めるのが、安永八年頃だったのか。⑤なぜ安永八年頃、まだ二十三歳の若さだったにも関わらず、あれほどの活躍ができたのか。
 これらの謎を解く鍵は、江戸座の俳諧師二世祇徳(一七二八~一七七九)の文化圏にあった。俊満は十四歳で魚彦を介して二世祇徳に繋がり、その歳旦帳に参加していた。その後、十年ほど俳諧に親しむ。二世祇徳文化圏内には、酒井銀鵞(姫路藩主)・柳沢米翁(大和郡山藩隠侯)・祇蘭(札差にして代表的通人)・市川団十郎・烏亭焉馬・夏目成美・木室卯雲(噺本作者)・魚躍(吉原遊廓引手茶屋)・五町(吉原遊郭幇間)らとともに、実は、絵師の文調・文笑(文調の弟子で、後の頭光)・重政、黄表紙作者の朋誠堂喜三二・市場通笑もいた。俊満は、この文化圏で<ホープ>的な存在であったが、安永八年に二世祇徳が他界してしまう。このことも要因となり、黄表紙・狂歌・浮世絵の世界へ進んでいったと思われる。
 つまり、俊満は、十代前半から二世祇徳文化圏に長く関わり、その才能に磨きをかけつつ、多彩な人脈を得ていた。このような背景なくして、安永八年以降の多様な活躍はありえなかったのではないか。



「歌川国芳《二十四孝童子鑑》に関する一考察」
Study of Series: Twenty-four Paragons of Final Piety for ChildrenNijushiko doji kagamiby Utagawa Kuniyoshi
中山 創太(神戸市立博物館)

江戸時代後期に活躍した浮世絵師歌川国芳(寛政七~文久元年・一七九七~一八六一)は、作品を制作する際に、当時西欧から舶載された銅版画を参考にしたり、陰影表現を強調したりするなど、洋風表現に強く関心を示した浮世絵師の一人として知られている。諸氏の研究によって、国芳が同時代に活躍した絵師の作品だけでなく、当時輸入されていた蘭書を参考に自身の作品を手掛けていたことが明らかになっている。
 本発表で採りあげる《二十四孝童子鑑》は、天保一四~弘化元年(一八四三~四四)頃に若狭屋与市から刊行された揃物で、中国元代に定型化したとされる孝行伝、「二十四孝」を題材としている。現在二四の説話中、一七図(うち版下絵二図を含む)が確認されている。なお、先行研究では、作中にみられる洋風表現、とりわけ人物の服装や姿態の典拠と考えられる図様が提示されてきた。加えて、近年勝盛典子氏、勝原良太氏によって国芳が当時輸入されていたニューホフ『東西海陸紀行』(一六八二年刊行)から着想を得ていたことが明示された(二〇〇〇年及び二〇〇六、二〇〇七)。
 一方で、本揃物の風景描写に着目すると、陰影表現を強調したり、ハッチングのような銅版画を意識した表現がみられるものの、木々を画面の中央に配したり、事物を極端に近景に配したりするなど、一八世紀後半以降、盛んに刊行されていた名所図会など版本挿絵や天保年間頃から刊行された風景版画の影響がうかがえるといってよい。本発表では、《二十四孝童子鑑》の揃物にみられる洋風表現に対して、版本挿絵や風景版画を利用した従来の風景描写を改めて考察することで、国芳の作画姿勢を明らかにしていきたい。



「菱川師宣作品の科学的調査―山東京伝による菱川師宣考証に注目して」
Analysis of Colorants Used in Works of Hishikawa Moronobu
Focus on Historical Investigation of Hishikawa Moronobu by Santo Kyoden
 阿美古理恵(国際浮世絵学会事務局) 
                            塚田全彦(東京芸術大学大学院)
                             桐野文良(東京芸術大学大学院)                                   
                                                
浮世絵の祖とされる菱川師宣(?~一六九四)の伝記については、享和二年(一八〇二)十月に山東京伝(一七六一~一八一六)が『浮世絵類考』「追考」に記した「菱川師宣伝并系図」が、現在の学説に関わる重要な先行研究となっている。また、師宣の代表作として有名な「見返り美人図」(東京国立博物館蔵)の箱蓋裏には「文化七年庚午初冬 醒々齋鑒定」と記されている。醒々齋とは京伝の号であり、文化七年に京伝が師宣の作品の鑑定を行っていたことが分かる。京伝による師宣の伝記考証や作品鑑定の成果は、現代にも受け継がれているのである。
本発表では、京伝における師宣観がどのように成立したのかを考察するとともに、京伝が師宣と鑑定した作品と現在、師宣の標準作とされる作品の顔料や材質、表現技法を科学的に調査し、師宣作品の特質を明らかにするとともに、京伝の考証の実態を探っていきたい。
京伝が「菱川画幅」の「正筆」と鑑定した「恋童図」(個人蔵)に附属した京伝の書簡二通の内容を検討するとともに、京伝の考証資料の蒐集を可能にした大田南畝や曳尾庵等、当時の知識人たちとの交友についても考察する。
また、「恋童図」については、千葉市美術館に所蔵される師宣の基準作「天人採蓮図」などとともに、顔料や絹地などの材質を蛍光X線分析や赤外分光分析、可視反射分光分析といった科学的な調査方法を用いて分析し、比較検討することで、作品に用いられた素材や技法など、師宣の肉筆画作品の特徴を明らかにしていきたい。