2016年4月21日木曜日

第18回 国際浮世絵学会 春季大会


18回 国際浮世絵学会 春季大会

2016612日(日)

法政大学 市ヶ谷キャンパス 55年館 542教室

(東京都千代田区富士見2-17-1) JR・地下鉄市ヶ谷駅または飯田橋駅より徒歩10

プログラム

9:40                  受付開始

10:0010:10       開会の辞              小林忠会長                                        司会)小林ふみ子

                            理事長挨拶           浅野秀剛理事長


研究発表                                                                                                   司会)加藤陽介

10:1010:50       「浮世絵と西洋遠近法の関係について」 松浦昇(東京藝術大学)

10:5011:30       「小林清親の肖像表現の展開について」 村瀬可奈(町田市立国際版画美術館)

                                                                                                                 司会)大久保純一

11:3012:10       「肉筆浮世絵の合作について」 

ワイイー・チョン(プリンストン大学大学院)

12:1013:10       昼食休憩(第36回理事会 会場:865教室)


13:1013:50       18回通常総会                                                               司会)田辺昌子
                                 
                                司会)大久保純一

14:0014:40       「勝川春章伝記小考」 神谷勝広(同志社大学)


14:5015:10       10回国際浮世絵学会賞授賞式                                司会)樋口一貴

                             学会賞受賞者:早川聞多、浦上満

                            「第10回国際浮世絵学会賞選考経緯」

ならびに国際浮世絵学会賞授与     小林忠

10回国際浮世絵学会賞受賞記念講演

15:2015:50       「北斎漫画四十七年/春画十八年」 浦上満(浦上蒼穹堂)

16:0016:50       「日文研における浮世絵春画の収集と国際研究の経緯と目的」 

早川聞多(国際日本文化研究センター)


17:30                懇親会 会場:(ビストロ・ポンヌフ)                               司会)田辺昌子

(東京都千代田区富士見2-3-14 CSTビル1F 



 
【大会参加費】 会員は無料です。受付で本年度の会員証をご提示ください。
        
             一般の方の参加も歓迎いたします。事前予約は不要です。
        当日受付へお越しください。
一般 1,000円(学生は500円
【懇親会参加費】国際浮世絵学会会員5,000円 一般6,000円 学生一律3,000円
【大会会場の地図】




研究発表要旨

「浮世絵と西洋陰影法の関係について」


The Relationship between Ukiyoe and Western Shadow Method
松浦昇(東京藝術大学)
 浮世絵は広義に洋画として知られており、西洋の描画技法を洋版画や蘇州版画等から取り入れてきた。これまでに、浮世絵と洋版画の関係については勝盛典子氏・勝原良太氏を始めとする研究が行われており、西洋遠近法ついては、岸文和氏や横地清氏等の研究がある。また、西洋陰影法については、中山創太氏や坂本満氏等の研究がある。本発表では、西洋陰影表現の中でも特に地面に落ちる影(shadow)に着目し、日本の書画で扱われてきた隈の陰影表現との違いを明確にして、浮世絵師達の西洋表現に対する態度を考察したい。
 いわゆる洋風表現を行った、葛飾北斎「くだんうしがふち」(1804-18)等では西洋的な陰影表現が行われている。北斎は『絵本彩色通』(1848)で西洋陰影法について「おらんだ隈」という記述をしており、旧来の東アジア的な隈の表現との表記を書き分けている。その上で、両者は表と裏のようなもので、どちらも習得して描くべきだと説いている。また、笠亭仙果 述『七ッ組 入子枕 第三編』(1851-1852)の口絵では、歌川国芳が画中画の構成で描いており、手前に人物を二人描き、奥に亜欧堂田善の版画が描かれている。田善の版画には西洋風の影を描き、手前の人物には影がないなど、陰影表現の描き分けが観察される。
 本発表では、こうした影(shadow)の表現の扱いから、浮世絵師における西洋陰影表現の技法と消化について考察する。さらに、夜景や洋風のモチーフなど、絵の題材と影(shadow)の出現の関係についても考察を行う。これらから、当時の浮世絵師がどのように洋画を捉えていたのかを研究していきたい。
「小林清親の肖像表現の展開について」
Development of Portrait Expression by Kobayashi Kiyochika
村瀬可奈(町田市立国際版画美術館)
小林清親は明治9年(1876)から14年(1881)にかけて『東京名所図』を刊行し、文明開化の東京を叙情的に描き出した。しかし明治15年(1882)頃からは『団団珍聞』などの雑誌を舞台に諷刺画に取り組んでおり、そこで清親を特徴づけたのが表情豊かな人物表現であった。これまでの先行研究では清親の「風景」に評価が集まってきたが、「人物」に焦点を当てた議論は十分になされてきたとはいえない。そこで本発表では、清親の画業初期すなわち明治10年代における清親の肖像表現に着目し、その展開について探る
版元の松木平吉から明治11年(1878)以降に刊行された「故内務卿贈正二位右大臣大久保利通公肖像」や「木戸孝允」などの肖像画は、いずれも写真を原典とし、人物のポーズや背景に修正を加えて構成されたものである。銅版画におけるクロスハッチングの技法を模した網目状の陰影を施すなど新しい表現が取り入れられているが、写実性を追求することに重きが置かれ人物の内面描写は見られない。一方、明治15年(1882)には版元原胤昭のもとで『新版三十二相』、明治16年(1883)には『三十二相追加百面相』を制作。歌川国芳の百面相のアイデアを下敷きに、身近な人物をモデルにして表情を巧みに描き分けることに成功している。『東京名所図』では人びとを特徴のないシルエットで表していたことも鑑みると、この時期清親の視点は特定の個人の内面を描き出すことにあったといえる。また同16年の『天福六家撰』では、『絵入自由新聞』に掲載された肖像画を原図としつつ、そこにポーズを描き加えるなどして描く対象へと寄り添った表現が見られる。発表では、こうした清親の肖像表現が一般に共有された人物像の再現から、徐々に「個」の内面を描くようになることを確認し、『団団珍聞』など諷刺画における人物描写へと繋がっていく様子を、版元や先行作例、スケッチ帖との関係から考える。
「肉筆浮世絵の合作について」
Ukiyo-e Painting Collaborations
ワイイー・チョン(プリンストン大学)
江戸時代絵画の、いわゆる合作の研究としては、同一流派内での制作や、文人相互の交流から生まれる制作、さらには書画会の場での制作を対象としたものが多く、たとえば浮世絵の事例でも、版画や絵本における合作については過去に多くが論じられている。本発表では、多彩な様相を示す肉筆浮世絵における合作の考察を通して、江戸期浮世絵師らのネットワークを検討していきたい。
 まず、二つの≪久米仙人図≫合作(狩野英信・西川祐信、狩野永徳高信・北尾重政)から、御用絵師である狩野派画人と浮世絵師という対照的な立場にある絵師たちの合作事例について論じる。ついで、礒田湖龍斎・北尾重政・ 探叔斎周卜≪福禄寿と遊女・芸技図≫と、宋紫石・勝川春章・北尾重政≪福禄寿二美人図≫の二作品から、合作における俳諧連やパトロンの役割について考察する。さらに、勝川春章・高嵩谷≪閻魔浄玻璃鏡図≫と歌川国貞・英一珪≪閻魔覗明鏡図≫における、期間や年代を超えた師承関係についても検討を加えたい。
本発表で扱う作品は、いずれも文学、 演劇、美術を範疇とする江戸の町人文化の文脈で議論され、当時の多くの版画作品や史料を比較材料とすることによって、合作という活動そのものに新たな理解をもたらすものと考えている。
「勝川春章伝記小考」
The life of Katsukawa Syunsyo
神谷勝広(同志社大学)
役者絵・美人画などに優れた勝川春章は、寛政四年(1792)六十七歳で没したとさ
れ、明和初期に浮世絵界へ本格デビューした時、既に三十八、九歳で「遅咲き」の絵師と考えられてきた。しかし享年六十七歳説には明確な根拠がなく、生年を含め前半生については「謎」に包まれていた。
今回、観嵩月(1755~1830)『画師冠字類考』(西尾市岩瀬文庫蔵写本)「春章」の部分から以下の情報を提示する。①医者の父親は葛西へ転居した。②春章は人形町・長谷川町新道南側・若松町・長谷川町新道北側・難波町裏川岸と住所を移した。③人気が出る前は役者の似顔を描いた紙を林屋の店の隅で売っていた。④俳諧師素外の「社中」だった。⑤嵩月とは「知己」だった。⑥北尾重政とは一時「長谷川町新道」で向かい合って住んでいた。⑦俳号を「宜富」に変えた天明七年は四十五歳だった。⑧享年は五十歳だった。
春章の若い頃の動向は従来不明だったが、実はその不明時期そのものがなかったのである。さて「謎」は享年を十七歳若くすることでかなり消えるが、「驚き」「疑問」が新たに生じる。たとえば、あの素晴しい『絵本舞台扇』は四十代ではなく二十代の仕事だったのかと驚かされる。「遅咲き」というイメージは不適切であろう。また重政・春章・春好・春町たちが同世代になることで疑問も生まれる。春章は四歳上の重政を兄事していたのではないか。春章は、春町よりも一歳だけ年長、弟子の春好も同い年だった。同年代の若い絵師が集団化することは浮世絵界の変化に影響を与えていないのか。春章の享年に関する大きな変更は、様々な面に影響を及ぼす。